介護疲れが著しかった今月は本が全く読めていないので更新はお休みします。
弊社同僚家族のあいだでばたばた入院したり子供が熱出したので帰りますとかいろいろ聞くこの頃です。
健康に気をつけつつ、どうぞご自愛ください。

生活が立て込みすぎて2回更新するどころか本を読む余白もまるでなかったですね。

心臓の王国 竹宮ゆゆこ

鬼島鋼太郎は高2の夏休み、スイカ畑をバイトをしていた。
日給5000円。ただしスイカは重く、日陰のない真夏の畑での作業は過酷を極めた。
でもお金は欲しい。欲しいものがたくさんある。体調不良と復調を繰り返し夏休みはもう終わろうとしている。

そんなさなか、ひとりの男と出会った。「せいしゅんってどうやるんだ」と尋ねる彼、アストラル神威と名乗り「友達になってほしい」という今後の人生を付きまとわれることになる男だ。そして彼はわたなべゆうたと名乗り、鋼太郎のクラスに転校してきた。
同じクラスに既にわたなべが3人いる(それぞれ無印、旧字体、オルタナティブと呼ばれる)ため、区別のため神威と呼ばれることになった彼の世話係を押し付けられることになったのだ。

竹宮ゆゆこが書く青春は攻撃力が高い。
私が読んだのは電子書籍版なんだけど、最初に知ったのは書店で、帯にでかでかとブロマンスと書かれていた。わたしはブロマンス=BLの近似ジャンル(※性的な関係はない)と思ってますが、この本は男同士のみならず男女問わず17歳のクソデカ感情のドッジボールです。竹宮ゆゆこ原液100パーセントみたいな内容。とらドラで育ったわたしのような人間にはものすごくよく効きます。ゆゆこが書く青春なら心臓を鷲掴みにしたのちきっちり殺してくれるはずだという謎の信頼感のもとに読みましたが、こんな頻度で殺しに来るなんて聞いてない。
末満健一脚本演出作品「TRUMP」での「さっきまでギャグ100連発をしていたのにいきなり刺される」みたいなシーンの連続です。

注意書きなのですがこの物語には先天性の心臓病で入退院を繰り返している妹が登場します。入院期間が長い母親もいます。生きてますが、引っ張られる感情としてはかなりのものです。これらを抜きにしても感情の綱引きみたいな物語なので、重たい話は読みたくないという人はお勧めできないし、逆にそういうのが読みたいです、というにはとてもおすすめです。今年のベスト○○候補です。

彼女が言わなかったすべてのこと 桜庭一樹

2019年9月終わり。茨城県南部を震源とする都内では震度3を観測した日のことだ。
乳がん治療中の小林波間(こばやし なみま)は通り魔事件と旧友に遭遇した。かつて親友の恋人だった中川甍(なかがわ いらか)とLINEを交換して別れた。
後日、また会おうということになり待ち合わせ場所におらず、LINEビデオ通話で確認すると確かに同じ場所にいるらしい。ただ2人の画面に映るビルの形が異なり、お互いパラレルワールドの住人なのでは? という結論に至った。
あの地震の日、何かの拍子でつながった世界で出会ったふたりはもう会えることはないのだろう。それでも別の世界線で暮らす2人はLINEで連絡を取り異なる世界同じ空間同じものを見て食べる。
2つの世界は同じようで違うことがほかにもあった。小池百合子は両方の世界で都知事をやっていたし、米津玄師も存在した。でも波間の世界にシュタインズゲートはなかったし、中川の世界に恋々はいなかった。ニュースサイトのリンクは通らないが、スクショや映像や音声は送ることができたので恋々がパーソナリティをやっているオールナイトニッポンをLINE越しによく一緒に聞いたし、シュタインズ・ゲートを分割して送ってもらってみた。
決定的に違うことはほかにもあった。
小林波間の世界は2020年に東京オリンピックが開催された。
中川甍の世界は2020年に新型コロナウィルスの出現で世界は一変した。甍からもたらされるコロナが徐々に世界を覆っていく(エンタメが死んでいき不自由な世界に変わっていく)様子を信じられない様子で波間は聞く。
波間の世界は平和かというとそうでもない。乳がんの手術が終わり、今後は10年かけてホルモン治療をしていく。髪は抜け落ち顔は丸くなり、薬の副作用でマルチタスクで物事を考えられない状態が続いている。
病院で知り合った同じ病気を患っている深南はブログの書籍化の話が来たが、最終的には「病人がリスクを負って妊娠出産をしたが、再発悪化をしたりして最終的に亡くなれば映像化なども期待ができるが、健康すぎるので商品にならない」と流れたという。
その話を聞いて本人より盛大にキレ散らかす波間の場面を読みながら24時間テレビ……と思った。
内容は現実、今この2019年からロシアのウクライナ侵攻あたりも登場するので、別の角度から読む東京ディストピア日記のようでもある。

今月は2冊の予定だったんですが、この本はあっちと一緒にしたいな……と思ったので、今月は1冊で、次回回しか1回飛ばした分臨時号を来月半ばに更新するか。様子を見ながらやっていきたいと思います。
全国的にコロナがだいぶ猛威を振るっていますがどうぞご自愛ください。

これは先日自己検査で陽性になった友達ほか、そんな感じのひとたちを仮想読者として書いたエントリです。
最近コロナが増えてきたので、「コロナ陽性診断されたけどどうしたらいいの」の話をしよう。 | colorful

石狩七穂のつくりおき 猫と肉じゃが、はじめました  竹岡葉月

埼玉県在住石狩 七穂(24)は新卒で入社した会社を早々に退職し、あちこち転々として今は正社員の職を求めて求職活動中だ。色々駄目で、安定を得ようとすると途端に難しくなる。今のところ一番続くのは「短期の派遣」という様で就職活動は難航している。
そこに2つ上のエリートのいとこが休職したという話を母から聞いた。ボストン生まれで中学受験で私立御三家へ合格。旧帝大を経由して就職先は理系就職人気ランキング常に上位の大企業に就職した結羽木 隆司が鬱だという。隆司の両親は海外赴任中で身動きが取れず、無職の七穂に白羽の矢が立ったというわけだ。
七穂の記憶に残るのは隆司の祖父が隠居目的で購入した築80年の伝統的な日本家屋「我楽亭」での日々だ。七穂と隆司の母親は仲が良い姉妹で、時折招かれていた。
そこで出会った隆司はとっつきにくく、頭は良いがあらゆるゲームで七穂を完膚なきまでに負けさせるちょっと仲良くなれないタイプの子だった。子どもの遊びをしなくなって以降は疎遠になった。隆司は今我楽亭でひとり暮らしをしているという。
最初はちょっと様子を見てかかわりを持つつもりはなかったが、七穂は我楽亭に行って何品か料理をして冷蔵庫にしまうというぼボランティア活動にいそしんでいる。求職者の休職者のための給食当番だ。

竹岡葉月の近作はどれも自炊や料理が関わっている者が多い。
本作もその例にもれず石狩七穂がその腕をいかして豚汁をベースに担々麺や和風ポタージュを作ったりする。食べて生きて、今後の人生を悩んだり再起をはかる物語なのだ。最近は「キャリアブレイク」という単語を聞くことがある。今後のスキルアップや自分を見つめなおし今後の人生を考える前向きな離職期間をいうのだという。
これは休まざるを得なくなった隆司と行く末が見えず休んでいるしかない七穂の「ちょっと長い、おとなのなつやすみ」で、夏休みを終えて2人の行く末を見守る物語だ。

7月はSNS周り、特にtwitterが落ち着かず移転先を探したり新しくアカウントを作った方も多いのではないか。私は去年のイーロン・マスクがTwitterを買収するというニュースを見た時に色々検討したが、「今のTwitterの使い方をしている限りはTwitterの代替はない」という結論に至り、ブログを整えていた。

私はたびたび「ブログをやらないか、Twitterで書いてるそれをコピペして文章の順番を変えたりするだけでいい。その文章であとで助かる命があります」ということを言っているので今回は「まとまった文章を書く上でハードルを下げる本」「推しへの愛を叫ぶ本」特集をします。
今夏も相変わらず「不要不急の外出は避けましょう、熱中症で死にます」と言わんばかりの灼熱の世界。「推し」(人間から会社やサービスまで、任意の応援している存在)について熱く語るのはどうでしょうか。
関連エントリ:推しに関する記憶を永遠のものにしようブログ活用編| colorful

書く習慣 いしかわゆき

文章を書くのは文才がセットで語られがちで、文章を書けない理由についてアンケートを取ると「自分語りになってしまいそうで嫌だ」と出てくるけど自分のために書いていいよ。自分の考えていることをうまく言葉にできないのは才能がないからじゃなくて単純に「思ってることを言葉にする」練習をしてないからだよ、という本です。
文章術というとビジネス文書とか学校のレポートとかそういう硬い文章向けが多いけどこっちはこっちはゆるいほう。文章が非常に砕けているので、対談形式で進むわけではないけど「人のおしゃべりを聴いている感覚」で読めます。

推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術   三宅香帆

こっちはオタク特化です。

「推しの魅力を言語化するために必要なのは語彙力だと言われがちだけど本当に重要なのは『細分化』だ」とか「短文を中心としたSNSで推しについて語る上で重要なことは『自衛すること』だ」とか、読むと「あーーそれなーーー」って思うことが結構ある。

後者(自衛すること)について相容れない存在を先行ブロックするとかネタバレを踏まないために薄目でTwitterを見るとかそういうそういう話ではない。「自分の感想をかたちにする前に他人の感想を見ることによって自分の意見が出しにくくなる可能性」についてだ。
例えばこんな感想を見たとする。
・自分の感想とよく似ている(しかもなんか自分が表現力が高い、より解像度が高い、なんかイラストついてるなどの)感想
・自分は良いと思ったけど、周囲はどうもそうは思っていないようだ

こういう環境下でこれから書こうとする自分の感想が影響されないか?
「ほかの人が書いてるから自分があえて書く必要ないな」「この空気の中投稿できないな」とかそういうことにならないか?
自分の意見とは異なる空気が大いにあっても、自分の意見は守ろう何らかの形で残した方がいいという話であるけど、だからといって周囲と違う意見を表明するのは怖いことだと思う。そういう時は非公開日記(アナログの日記や誰からもフォローされてない/誰もフォローしていない検索にも引っかからないアカウント)という手段もある、と。
「推し」は時々スキャンダルからサービス終了まで色々世間を騒がせることがある。
他人に影響されることなく、好きな存在を好きなままでいるために「推しについての自分だけの言葉」を持っていることは重要なことだ。友達の発言を借りるなら「自分のすきを信じろ」だ。

ほかの面白かったのは
「推しを知らない相手に、推しの話をする上で、必要な距離(情報量について)」と、

自分がもやもやとした「好き」しか抱えていないときほかの人がはっきりとした強い言葉を使っていると、私たちはなぜか強い言葉に寄っていくようにできています。

という一文があって、マシュマロ等の二次創作お悩み相談でよく見るところの「村にある日あらわれたAさんの解釈が村全体に強い影響力を持つようになって」を一般的な話に置き換えるとこういう話になるのではとおもえて面白かった。

伝える準備 藤井貴彦

「思ってることを言葉にする練習」としてよく登場する手書きの日記。
「手書き」について「書く瞑想」「頭がすっきりする」とうたう本はたくさんある。
その中でこちらは「伝える」ことのプロ、日本テレビでニュース番組を長らく担当されている藤井貴彦アナの本。言葉の選び方、入社後ずっと書いている5行の日記の積み重ねが言葉選びの土台になっているという話。

2か月ぶりの更新になります。
今回はたまたま読んだ本のジャンルが似通っていたので、「夢をかなえてついに作家になりました。その後待ち受ける展開と対策について」特集でお送ります。ちなみにわたしは作家志望ではなく、創作者のインタビューが好きなだけの人間です。

急な「売れ」に備える作家のためのサバイバル読本 朱野帰子

本書は先日開催された技術書のオンリーイベント「技術書典 14」で頒布された同人誌のkindle版です。
紙書籍以下で買えます。
急な「売れ」に備える作家のためのサバイバル読本【紙の本】 – 朱野帰子の同人誌売り場 – BOOTH

こちらはメディアミックスや賞受賞でものすごく売れてしまった人に起こりがちな悲惨な事態・過剰タスクに備えるため、もしくは燃え尽き症候群などで体調を崩してしまった人がもう1回再起するための手法が実体験をもとに語られています。

直木賞を受賞すると3年寿命が縮まるという研究結果がある、という衝撃な書き出しから始まる本書です。
「いつか加藤シゲアキが何かしらの賞を、具体的には直木賞をとってほしい」人間的に「メディアミックスによって増える作家の業務」一覧を見るだけも「お、おう」となった。なんせ加藤シゲアキは兼業作家、ほかの仕事は歌って踊れて演技もできるジャニーズ事務所所属アイドルで小説を書きながら舞台をやったり、いろんな仕事が同時進行していたことをあとから知ってぞっとするわけです。
ちなみに朱野さんは未就学児2人を抱えて家事育児に小学校入学準備、作品Aの全面書き直し、既存連載作品Bの単行本化、ドラマ化がワンチャンある作品Cの続編の依頼がきた、というおっそろしいバックグラウンドがあり、さらにここを乗り切れば休めるというものではなかったというもの。

小説家ではなくても、「バズってフォロワーが急に増えて自分が望む絵を描け、みたいなマシュマロが届く」とか、近親者や取引相手が小説家であるとか、そういう感じの人におすすめです。

エンタメ小説家の失敗学「売れなければ終わり」の修羅の道 平山瑞穂

最初に言っておくと気が滅入っている時にこの本を読むと気分の落ち込みが結構ひどい本です。ソースはわたし。

noteでの連載の書籍化。

平山瑞穂さんは2004年に日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビューし、その後小規模な出版社から大手まで、数々の出版社から少なくない冊数の作品を世に送り出しました。10万部を超える作品がある一方で重版がかかったのはほんの一握りだったといいます。

あらかじめもう一度書いておくとこれは小説ではなくエッセイです。
デビューして現在に至るまでどういう経緯があったか、どういう戦略があったか、苦難や後悔、恨みつらみやそういったことが書かれています。「最後に起死回生のヒットがあって今は売れっ子として頑張っている」わけではなく、ただただ「どのようにして作家としての寿命が縮んでいったか」という、小説家志望者に対して俺の屍を越えてゆけのような本です。

社長転生 株式会社ツクリゴト(紅玉いづき・栗原ちひろ・森きいこ)

会社づくりエッセイ本『社長転生~会社爆誕! 頼れる仲間と創作ライフ~』試し読み|紅玉いづき

15周年を迎えた紅玉いづきさんは頭を抱えながら作家仲間の伝手で公認会計士事務所を訪ねた。電子帳簿保存法やインボイス制度を控えてこの税理を続けるのは無理、ただこの希望を叶えるには起業しかないとして、昨夏はじまった株式会社ツクリゴトがかたちになった経緯についての同人誌です。
この本は社長転生 ~会社爆誕! 頼れる仲間と創作ライフ~ – 少女文学館公式通販 – BOOTHで買えます。
電子書籍はありません。

諸事情で本が読めず体調もすぐれないため今月の更新は休止します。来月はできたらやりたいと思います。
よろしければまた来月お越しください。

回樹 斜線堂有紀

特殊な世界観の中で、愛情や死者を悼む気持ちや遺された者の執着を書かせたら斜線堂有紀はすごい小説家だ。
本作はSFマガジンに掲載された短編集で、女性同士の恋愛、妻を亡くした男性、朽ちない死体、映画の輪廻転生の物語で、特によかったのは「骨刻」「不滅」

骨刻(ボーンレコード)はとある医療技術だ。機能を阻害しないレーザーで骨に文字を刻むことができる技術だ。でも一見しただけでは分からず、レントゲン撮影をすることではじめて文字が認識できる。そんな「なんかすごい気もするけどいまいち使いどころがない」技術だった。無価値だったその技術がなんとか商品になるよう、ある美容整形外科が骨刻をはじめた。
最初にそれが流行ったのはカップル間やサブカル界隈だ。推しの名前や思い入れのある一節を骨に刻み、レントゲン写真とともにSNSにあげ、ある人はジャケット写真に使用し、ある人は呪いのような遺書を骨に刻みこみ自殺した。
本当に自分の骨に文字が刻まれているのかはレントゲンを撮らなければ分からず、骨の写真に画像加工してしまえばいいわけだ。誰かへの愛を骨に刻み、それが自分の中に残っていることを拠り所にして生きる。骨刻は信仰のようなものだった。
その信仰の話。

そして「不滅」は宇宙へ行けるようになった日本での話で、テロリストの話でもある。
元公安の叶谷仁成の「クレイドルー宇宙港を占拠した」と警察への犯行声明からこの物語は始まる。
叶谷の手には宇宙港の3分の2を吹き飛ばせるほどの爆弾がある。彼はこの犯行に走ったきっかけを語る。彼は「最初の死体」を扱った。
「菊宮めり乃」は不幸な事件に巻き込まれて命を落とした後、台風による水害で火葬場が使えず10日間そのままだった。腐敗の気配もなくまるで寝ているだけのような彼女は火葬場でも焦げることさえなく、警察病院へ運ばれていった。
死体が腐らない現象はその後全国に広がった。死んだ時の傷は残っているのに、死後は傷ひとつつけられなくなった。火葬ができないなら土葬するしかないが、場所は有限で土に還ることもなく遺体は増え続ける。やがて宇宙へ葬送する船の制度がはじまって、民間の宇宙旅行は禁止され葬送船ばかり空を飛び交うようになった。
やがて「弔い」なんて言っていられない時代が来ることを皆想像していた。

SFといっても百合だったりエンタメを守る人たちだったり、現代日本とたいして変わらないようでちょっと進化した未来の話があったりでとっつきにくくはないと思う。

祖母姫、ロンドンへ行く! 椹野道流

エッセイ。
ステキブンゲイ連載中晴耕雨読に猫とめしから、連載中結構話題になっていた「自己肯定感の話」を大幅に加筆修正したものです。
若かりし頃の椹野道流さんは、80代の祖母と5泊7日のイギリス旅行へ行った。正月の集まりで「イギリスに行きたい、お姫様のような旅がしたい」と呟く祖母を一族総出で叶えることにして、すべての旅程をイギリス滞在歴がある椹野さんが付き添うことを決めた。
年相応に病気をいくつか抱え、認知症もあり「プライドが高く面倒なところがある」祖母にとっては、これが人生最後の海外旅行になる可能性が高いと、誰しもがそう思った。だから旅行は贅沢を尽くしたものになる。80代の行動力と体力に合わせた結果、飛行機はファーストクラス、ホテルは5つ星。
その結果椹野さんが出会った人たちは、実に行き届いたサービス、ホスピタリティ、「遠回りになろうともあなたのことを尊重する」というような言動を自然にする人たちが多くて、こんな人に若い時分に出会っていたらその後の人生に影響を及ぼしたり、何歳になっても思い出すだろうなあこれは、思う。
「椹野さんが出会った人」には旅の片割れ、お祖母様の弱いところをえぐってくるような名言の数々もすごい。直接言われたわけでもないのにこちらも大ダメージだ。

「努力しなければゼロのままだけど、百も努力すれば、一か二にはなるでしょう。一でも違いは出るものよ」
「そんなもんかなあ。骨折り損の……って感じがするけど」
「あんたはそうやって、最初から諦めているから不細工さんのまま。ゼロどころか、日焼けして、お手入れをさぼって、お洒落もしないで、マイナス五にも十にもなってしまってるんと違いますか」
(略)
「もっと綺麗になれる、もっと上手になれる、もっと賢くなれる。自分を信じて努力して、その結果生まれるのが、自信よ」

こんな感じで、普段は「お土産を買う」「これはいらない」「あの店員さん自分のこと気品がある人って言ってた?」と椹野さんを振り回すことも多い中、観察眼がとても鋭くていらっしゃる。これが俗にいう「年の功」というやつなのだろうか。

分かりやすい旅行記というわけではなく、旅行中に出会った人々とのコミュニケーション、あとはまあリアルタイム旅行記ではなく記憶の中の思い出話という感じで、いい話を聞かせてもらった……という気になる本。

タイムリープ あしたはきのう(上)(下) 高畑京一郎

1996年に発行されたタイムリープものの傑作の新装版。

東高2年の鹿島翔香は遅刻ギリギリに本鈴と同時に滑り込んだらまず違和感を覚えた。
地学担当の藤岡先生が教卓に立っていた。今日は月曜だから1時間目は英語(リーダー)のはずなのに。仲の良いクラスメイトに聞いても今日は火曜だという。まったく記憶がないが、翔香は昨日も普通に登校していたという。
帰宅後、翔香がちゃんと月曜を過ごした証拠に「取った覚えない月曜日の授業のノート」が発見され、さらにたまにしか書かない日記には自分の筆跡で「あなたは今混乱している」「若松くんに相談しなさい」と月曜の日付で書かれていた。

若松和彦は進学校の東高でも抜群に優秀な頭脳を持っているクラスメイトだ。誰に対しても距離を置いており、女性嫌いかと思うほどとっつきにくい人間だがやることは何もかも完璧だ。
月曜日の記憶がない翔香には「クラスメイトの若松和彦と知らない部屋でキスをしていた」不自然な記憶もあり、火曜日中和彦を目で追っていた。翔香は水曜日、図書館にいた和彦に翔香は話しかけた。「私、一昨日あなたの家に行かなかった?」と。

「タイムリープ」の思い出というかなり長めのあとがき(もしくはエッセイ)がついてくる。この後あったメディアミックスの数々についても言及されている。

メディアワークス文庫内でもかなり薄い部類で、2冊合わせて300ページぐらい。SFが苦手でも読みなれなくても読みやすい(なぜなら「なぜ自分がこんな風になったのか分からない」という翔香に和彦は「それは……」と丁寧に解説し手助けするため)。
ばらばらだったピースがひとつひとつはまり、パズルが組みあがると物語の中央にあった謎が美しく解かれる。

砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない 桜庭一樹

3月下旬ごろのある日、お昼から夜のまあまあ早い時間までTwitterのトレンドの上の方に居続けた小説です。
話題になりかたが個人的には釈然としなかったので、取り上げない理由はないだろうという気持ちです。

この小説は人が死ぬ。それもまだ若干13歳で、殺されて、生涯を閉じる。
人が死ぬ小説を称して「鬱小説」という人はいるし、ハッピーエンドの小説しか読みたくない人もいるのも知っているけど、この「狭いく苦しい世界で、もがきながらなんとか生き抜こうとする少女の物語」は、広く読まれてほしい物語だ。しかもできたら年若いうちに。

ちなみにこの「人が死ぬ」ということはネタバレでもなんでもなくて、物語は新聞記事からの抜粋で始まる。
10月4日の早朝、鳥取県境港市にある蜷山の中腹で少女のバラバラ遺体が発見された。身元は市内在住の中学2年生、海野藻屑(13)、発見者は同級生のA子さん(13)、と。

海野藻屑は東京から鳥取の山田なぎさのクラスへ9月に転校してきた。自分のことを人魚だと名乗り、風変わりな喋り方に片足を引きずりながら歩いていた。転校初日のあいさつのあと、藻屑が歩いているところを花中島が足を引っかけて転ばせた。
ほんの一瞬で角度的にもなぎさ以外は見られなかったが、藻屑のスカートの中、下半身には殴打された数々の痣が散りばめられていた。
なぎさは母と引きこもりの兄と暮らしている。生活保護と母のスーパーでの稼ぎが山田家を支えている。なぎさはすぐにでも社会へ出たかった。傲慢で見え透いた嘘で子どもを丸め込もうとする大人になんてなりたくなかったが、自分は弱くみじめで戦う手段を何も持たないから早く大人になりたかった。
2人は言葉を交わして、ここから逃げようという話もしていた。その矢先のことだった。

この本のことについて書くといつも愛知県在住の友達の感想を思い出す。
なぎさと花中島と藻屑がバスに乗って町に行くシーンがある。中国山脈の奥地から出てくるバスに乗って、乗るときに切符を取る。その切符を証明として200円から1500円ぐらいまでの料金を支払う、というシーンだ。
友達はその料金体系がすごく不思議だったそうで、日本が舞台なのにファンタジーみたいだといっていた。
舞台と同じぐらいのレベルで住んでいる [1]シネコンはあるが、電車は走ってない。ICカードも使えない。バスは後ろ乗り前降り整理券を取って後払いわたしには予想外すぎる感想だった。

References

References
1 シネコンはあるが、電車は走ってない。ICカードも使えない。バスは後ろ乗り前降り整理券を取って後払い

今月はどうしてもこの話をしたいので、雑誌掲載の本の話をします。

サエズリ図書館のワルツさん 電子図書館のヒビキさん

かつて星海社FICTIONSから刊行されていた「サエズリ図書館のワルツさん」が帰ってきました。

紙魚の手帖という雑誌に短編が掲載されています。こちらの雑誌は電子書籍版もあります。

いろいろあって本が貴重品になった世界、紙の本は万人のものではなくなった。学校の図書館は本がガラスケースに入れて飾られるような時代だ。パルプが高騰し何度も「電子元年」を迎えた。データがあればそれでいいという人はいる。本好きを贅沢趣味だといい顔をしない人もいる。それでも本は死ななかった。

さえずり町にある私立図書館の特別探索司書 割津唯、サエズリ図書館のワルツさん。
本が文化財のようになった世界でも、誰にでも本を貸し出す図書館の責任者が彼女だ。

「サエズリ図書館のワルツさん」は「趣味は読書です」と目をキラキラさせていう人、電子書籍も便利でいいけどやっぱり本は紙の本じゃないとねという人、ずっと本を読んで育ってきたような人にはページごとに鈍器を振りかざして殴りかかってくるようなおっそろしい本である。
悲しい物語でもほっこりするような話でもない。ただ、本と一緒に育った人間には「痛いほど、その気持ちが、描写が、わかる」ということがあまりに多い本だ。あふれるようなその強い感情を持っていくところがないし咀嚼するのにも時間がかかる。その結果鈍器で丁寧に撲殺されるような本だ。

刊行された当時、約10年前は2巻のほうがより攻撃力が高かったが、今読み返してみると1巻のほうで不意打ちで泣かされることが多かった。

10年ぶりにあったワルツさんはびっくりするほどあの頃のワルツさんだった。
電子化をすすめてくださいという要望メールが山ほど届いても、紙の本が大切で、大切なものはみな重いという、本を愛する変わらない司書だった。

でもこの10年の間でわたしはずいぶん変わってしまったと思う。
より大人になり、20代の頃はばんばん本を買っていたのが仕事上の疲れで本を読めない時期があり [1]ちなみにこの「エンタメを摂取できない」病は退職することで劇的に改善したのでいかにあの労働が悪だったかというのがわかる、2代目のkindle購入により電子書籍利用が圧倒的に進んだ。
kindleのいいところは置き場所を考えなくていいので、ずっと手を出しにくかった単行本をぽんぽんと買えることだ。でもkindleは所詮「データへのアクセス権」が一時的に手に入るだけなので何があっても手元に置いておきたい本を紙で買うようになった。
大事なものをもっと大事にできるようになったということでもある。

そして悲しいことに、読みたいのに物理的に「読みづらい」本と出会ってしまった。
1と0と加藤シゲアキという本で、これは普通の文芸単行本と同じサイズで、「やりたいことを全部やりたいので詰め込んだ」という説明がふさわしく、2段組と言わず3段4段6段と多段組が多用されている。つまりものすごく文字が小さい。
10代20代前半の頃のわたしならたぶん喜んだと思う。なんせ当時あったファンロードという雑誌では掲載されているはがきをすべて、ページの両サイドにびっしりと書き込まれた文字も余すことなく読んでいた。
紙の本で読みにくいなら電子書籍という手段があるけど、ここは付箋を貼っておきたいと思っても、形式上ハイライトができない検索もできないしkindle端末ではまず間違いなく読めないし試し読みも出ていないので手を出せていない。
この先そうやって物理的にnot for meの本が増えてくるのかと思うとそれはそれで悲しい。
そうなったらサイズの大きな電子ペーパー端末を買おうか。タブレット端末推奨の電子書籍はiPad miniで読んでいるがサイズ上の問題で不便はあるのだ。

サエズリ図書館のワルツさん(星海社FICTIONS)は入手困難だけど、東京創元社から文庫化が進んでいる様子。令和のワルツさんの降臨を楽しみに待ちたい。

References

References
1 ちなみにこの「エンタメを摂取できない」病は退職することで劇的に改善したのでいかにあの労働が悪だったかというのがわかる

このビル、空きはありません オフィス仲介戦線、異常あり 森ノ薫

2022年ノベル大賞 大賞受賞作
オフィス専門不動産会社ワークスペースコンサルティング初の女性営業として咲野花が新卒入社して早半年、なんとか手にしたはじめての契約が目の前で壊れた。そして営業部から異動になった。営業からフロアを遠く離れたひとり部署の特務課への異動だ。花の新しい上司となる早乙女を評して営業部での上司、関ケ原は「早乙女さんと働けるなんて咲野はラッキーだよ」と言っていたが、花は左遷人事に対して慰められていると肩を落とした。
花が知っている特務課の仕事は「様々な問い合わせ」の対応、それも仲介会社がどうしようもない苦情や要望にコピペ対応をしているぐらいだ。
もう辞めようと思った。しかし慰留され花は最後にもうひとつだけ仕事をすることにした。花が押印までこぎつけて契約し損ねたソーイングネットワークジャパンの物件探しだ。しかし早乙女に渡された膨大な物件情報リストはソーイングの必要条件は満たしておらず疑念は深まるばかりだ。

表紙は男女であるけど、徹頭徹尾お仕事小説。花の行く先を一緒に進んでいったらここでこんな展開があるなんて、とミステリライクな構成がよい。

威風堂々悪女 白洲梓

瑞燕国の少女玉瑛は「尹族追放令」で下女として暮らしていた貴族の屋敷を追われた。50年程前尹族の柳雪媛が謀反を起こした結果誅殺されたことで、尹族は永遠に奴婢の身分に落とされた。雪媛は後宮で常に皇帝の寵愛を得、権力を増した結果故国の復興を目指したのでは、と伝えられている。
国を追われた夜、玉瑛は火事にまぎれて逃げ出したが王青嘉将軍に斬られ、雪媛への恨みを抱いたまま命を落とした……はずだった。目が覚めた玉瑛を人々は「雪媛」と呼んだ。
あれから7年、玉瑛は「昭儀」と呼ばれる皇后より2つ下のここ数年皇帝の寵愛を得ている妃の地位にいた。そして雪媛となった玉瑛は護衛として当時19歳の王青嘉を指名した。
異世界転生ではなく、過去へ遡る物語

錬金術師の密室 紺野天龍

ファンタジーとミステリの融合。
人類最後の神秘、物理法則さえ無視する神の叡智の結晶、錬金術は2000年前に神の子と呼ばれたヘルメス・トリメギストスによってもたらされ、常人には理解することさえ困難な秘術は世界に7名存在する錬金術師のみに扱える先天的な能力だ。
軍務省の新人少尉エミリア・シュヴァルツデルフィーネはメルクルウス・カンパニィで開かれる錬金術師の式典に参加せよと指令を受けた。その際錬金術関連特務機関の室長にして唯一の職員テレサ・パルケルススに帯同し内偵をせよという任務つきだ。
エミリア(堅物の男)とテレサ(女と酒が好きな女)が向かう式典では人類がいまだ到達していない〈七つの神秘〉が明かされるらしい。しかしその式典が行われる前夜、錬金術師の死体が三重の密室の内側で発見される。
ファンタジーは雰囲気づくりではなくトリックにしっかり関わる代物で、森博嗣初期作品が好きな人は多分好きだろう作品。

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