わたしの2月は仕事と北京五輪とMOTHER2でほぼ終わったので今日はそういう感じの特集です!

砂嵐に星屑 一穂ミチ

「イエスかノーか半分か」シリーズで長らくテレビ局や報道について書いてきた一穂ミチが書くテレビ局に関わる人々の話。大阪、福島にあるなにわテレビに勤務する人々の連作短編。

上司のアナウンサーとの不倫で「東京のキー局へ出向」という名の懲罰人事から大阪へ戻ってきた三木邑子(43)は資料室で不倫相手村雲の幽霊が出ると聞き、深夜に張り込んでいると一風変わった新人笠原雪乃と出くわし、なおかつ本当に村雲の幽霊を見た。(<春>資料室の幽霊)

地震が起きて電車が止まった朝、中島と市岡は徒歩で西宮駅から(兵庫県)から職場の福島駅(大阪)付近まで向かうことを決めた。52歳という年齢で17キロを歩くことがどのぐらいの負荷なのかわからないがとにかく行くしかほかない。
中島は考える。思い出す。30人以上いた同期が離職していったここ数年を。とある一件からまったく会話がなくなった娘のことを。一昨年取材していた熊本の地震のことを。(<夏>泥船のモラトリアム)

新卒で就職した企業をパワハラで1か月で退職した結花は派遣会社からADの職に就いた。
AD経験を3年積んだあと、ベテランのタイムキーパーの後を継いで今はフリーランスのタイムキーパーとして働いて、好きな男性とルームシェアをしている。同棲ではなくルームシェアだ。なんせ由朗はゲイ。とんとん拍子でルームシェアが決まったがそれ以上のことは望みのない相手だ。
(<秋>嵐のランデブー)

「30代半ばに入ってまだADはキツいやろなんせ周りが気遣う。サポートはするから」と堤晴一は代打で規模の小さな密着ドキュメントのVTRを作ることになった。対象は並木広道というクリニクラウン(病院で大道芸や手品をする芸人)で、彼は腹話術の人形と漫才をする。晴一と対照的に広道は人の懐に飛び込み、苦戦した街頭アンケートも回答を取ってくる。カメラが回っていない時、広道は阪神大震災の被災者だったことを話した。
(<冬>眠れぬ夜のあなた)

イエスノーシリーズで何かおすすめはと聞かれたら無難に1巻と、もう1冊は番外編の「つないで」をガチ推しします。

これはディレクターとプロデューサーの話で「ザ・ニュース」という夜のニュース番組の作る側、ドキュメント番組のやらせについて、ある大雨の日、講演のため広島に到着したかと思えば大雨特別警報が発令された。交通網が寸断され市内だけで数百軒の停電が発生し、NHKおよび民放のテレビ電波もいつ停波するかわからない。その緊迫した状況での報道マンの奔走が語られる。

ちなみにイエスノーシリーズは男性同士の性描写が少なからずありますので、苦手な方はご注意ください。

少女を埋める 桜庭一樹

2021年2月、直木賞作家の冬子は7年ぶりの母からの電話で父が死の際にいることを知る。感染リスクの高い東京から感染者がほぼ見られない鳥取へ移動することの是非 [1]当時の東京は年明けの1000人越えから300人程度まで減少していたころだった。一方鳥取は出て1日1名程度、感染確認0名の日も多い時期だった。からオンライン面会を経てPCR検査後鳥取へ飛んだ。

本作は桜庭一樹の私小説です。「少女を埋める」を発表後、朝日新聞社の書評欄で起こった誤読もしくは解釈違いから始まる一連の流れが一作にまとまり(キメラ)、その後の顛末も描かれる(夏の終わり)
桜庭さんのこれまでの読書日記や東京ディストピア日記のような文体で、あの作品が生まれた背景にはそんなことが、ということが語られている。

奇跡なんて、起きない。フィギュアスケートマガジン取材記2015-2019 山口真一

2014年全日本選手権から2019スケートカナダまで。
インタビュー記事の文字起こし全文掲載という丁寧に羽生結弦という人物が描かれている1冊です。

羽生結弦は助走しない 高山真

30年来のフィギュアスケートファンが書く「羽生結弦選手のこのプログラムのここがすごい」
「ここがすごい」については箇条書きなので動画を見ながらだとわかりやすい。
ただし、「ここのここがすごい」という書き方なので用語や場面が分からないと「なんかわからんけどそこがすごいのか」という感じになると思う。取り上げられているのは2010年ジュニア時代から平昌オリンピックで金メダルを獲得したSEIMEIまで [2](※本書は平昌前に発売されているので2個目の金メダルについては言及されていない
前半には用語の説明あり、初心者にもある程度は優しく、平昌五輪に出場したシングルスケーター(日本・海外選手ともに)にも言及あり。

兄・宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨 宇野樹

弟視点から見る宇野昌磨という人物について。
メダル2個取った人とかスマブラめっちゃ好きなんだろ? とかそういう人で宇野昌磨とは、という人となりが知りたい人にはぜひともお勧めしたい1冊。

References

References
1 当時の東京は年明けの1000人越えから300人程度まで減少していたころだった。一方鳥取は出て1日1名程度、感染確認0名の日も多い時期だった。
2 (※本書は平昌前に発売されているので2個目の金メダルについては言及されていない